2010/04/04

死刑ってどう執行するか知ってますか? - 森達也『死刑』


森達也『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う』朝日出版社


 世界は死刑廃止に向かいつつある。今は死刑の存置国は64ヶ国しかない。そのほとんどはアジア、中東、アフリカに属する。また存置国の中でも、廃止に動く国は多い。韓国や台湾は死刑廃止に向かいつつある。アメリカでも、近年の執行数は減少している。

 一方日本では、世論の8割が死刑に賛成しており、執行も毎年行われている。2008年には15人の死刑が執行され、32年ぶりに2桁の水準を記録した。今や日本は、世界を代表する死刑存置国である。

 しかしながら、ぼくたちは死刑について無知すぎるのではないだろうか。例えば、死刑がどのように執行されているか想像したことがあるだろうか。死刑囚は、当日の朝に死刑の執行を告げられる。執行の前には家族や友人に会うこともできないし、遺書を書くこともできない。すぐに刑務官に両腕を抱えられ、刑場に連れて行かれる。刑場では、教誨師や刑務官と言葉を交わしてから、目隠しをされ、足を縛られる。刑場の天井からはロープが下がっていて、死刑囚はロープの輪っかに首を通す。そして刑務官がボタンを押すと床が抜け、すとんと下に落ちる。死刑囚は心臓が止まるまで20分間、そのまま吊るされる。実際目にすることはできないが、死刑は毎年このように執行されている。

 著者である森達也は、死刑について知るために、死刑の当事者たちに話を聞きに行った。弁護士、国会議員、教誨師、刑務官、元検事、元裁判官、元死刑囚、そして被害者遺族。

 元刑務官の坂本敏夫は、世間の人が「凶悪な事件と処刑という、始まりと終わりの形しか知らない」と言う。刑務官は、死刑囚と10年以上もの時間を共有する。長い間一緒に過ごすうちに、死刑囚との間には家族に近い感情が芽生えるという。「死刑囚との関わりだとか、周辺にいた人の思いや努力とか、お世話になりましたと言って処刑台にのぼって死んでいった人の気持ちとか・・・事件と処刑のあいだにあるそういうことは、まったく知られていないでしょう」
 そして彼は、改悛の情を深め、遺族に心から詫びながら、従容として処刑台に上る死刑囚を何人も見ている。だから彼は、死刑の執行には反対の立場をとる。

 被害者遺族の松村恒夫は、皆は「被害者のことをわかったようなふりをしているけれど、実際にはわかっていない」と語る。彼の孫の春奈ちゃんは、幼稚園に行っている間に友達の母親に殺害された。「相手が生きているかぎり許せない。」だけど被害者の気持ちは、加害者が死刑になっても代替できるものではないという。「死刑はひとつの過程に過ぎない。それからまださらにこっちは生きなきゃいけない。犯罪に遭ったとき、ひとりが殺されるだけじゃなくて、みんながめちゃくちゃになる。」
 松村の孫を殺した加害者は、裁判で死刑にならなかった。もちろん松村は、加害者の死刑を望んでいる。しかしながら、同時に彼は「死刑という制度を使わないで済む社会になればいちばんいい」とも言っている。死刑という制度があるだけでは何も解決しない。だから彼は死刑を絶対に存置すべきであるとも考えていない。

 著者の森は、たくさんの当事者に話を聞いた。その結果、森は死刑をどう判断したのだろうか。

 森はまず「死刑をめぐる議論は、論理を超えて情緒の領域で行われる」という。当事者たちは死刑に関して、強烈な経験を持っている。そしてその経験を起点にして、彼らは死刑について逡巡し、考えている。もちろん存置派も廃止派もいる。当事者たちの持つ経験に対して、論理で何を言っても無駄だ。彼らの経験とそれに対する思いは、論理による説得なんかで動くものではないからだ。

 そして森は、ぼくたちが死刑についての経験を持たない第三者でしかないことを見つける。ぼくたちは死刑を執行したこともないし、死刑囚と会ったこともない。大切な人を誰かに殺されたこともない。だからぼくたちは、死刑について感情的に判断しがちである。例えば95年のオウム真理教による地下鉄サリン事件後、死刑に賛成する人は世論の8割にまで増えた。ぼくたちはサリンを撒いた実行犯たちを死刑にするべきだと考えた。でも、ぼくたちは地下鉄サリン事件の当事者ではない。被害者でもないし、加害者でもない。たまたまマスコミが実行犯の信者を「極悪人」のように報道したから、あなたはそれを真に受けて、「あんな極悪人は死刑になって当然だ」と感じただけに過ぎない。結局ぼくたちの出した結論というのは、マスコミの報道に大きく影響されるような、一時的で感情的なものなのだ。

 しかしながら、ここで忘れてはいけないことは、死刑制度を支えているのはぼくたち、そしてあなたなのだ。あなたひとりの判断が変われば、制度も変えられる。だからあなた自身が、いろいろな人の死刑に対する思いを知った上で、それでも死刑を続けるべきか、止めるべきか考えなければいけない。