2010/03/27
文章をみがかないと、感動は伝わらない - 辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書
辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書
電子メールやブログの登場によって、私たちは数多くの人と手軽にコミュニケーションできるようになった。これらのテクノロジーのおかげで、私たちが文章を書く機会も爆発的に増えた。しかしながら、文章を書く機会が増えるということは、人を感動させるような名文がたくさん生まれることを意味しない。なぜなら、いくらテクノロジーが進歩しても、表現のシステムは進歩しないからだ。言葉や文章などの表現を使わないと、感動を人に伝えることはできない。そしてこの表現方法は、コミュニケーションの手段として限界を持っている。パソコンでデータをコピーするように、文章を通じて感動を伝えることはできない。だから私たちが感動を伝えるためには、文章の表現にあらゆる工夫を凝らす必要がある。文章を書く際の困難さは、今も昔も変わっていないのだ。
例えば『「春の訪れ」を表現してください』と言われたら、あなたはどうしますか。芽吹きつつあるサクラの花や、穏やかな春風なんかを交えて表現するだろうか。南木佳士は、『阿弥陀堂だより』の中で春の訪れをこう書き表した。
「風が春の先ぶれだと知れるのは、ぬくもった腐葉土の香りを含んでいるからである。南に向いた斜面に建つ阿弥陀堂の庭の端にはフキノトウが枯れた雑草の下から鮮やかな若草色の芽をのぞかせていた」
どうだろうか。まるでその現場に立っているかのように、春の様子を感じることができないだろうか。この文章には、春の一場面をそのまま切り取ったかのような臨場感がある。「フキノトウ」「若草色の芽」「ぬくもった香り」は、感覚的に春を訴えかけてくる。それだけでなく「腐葉土」や「雑草の下」「阿弥陀堂の庭の端」という言葉によって、春の現場が鮮明にイメージできるようになる。
このような文章は、一朝一夕に書けるものではない。「ぬくもった腐葉土の香り」や芽吹くフキノトウを見出すのは、南木独自のセンスだ。そして南木が見つけた「春の訪れ」を鮮明なイメージと共に、効果的に読者に伝えている。短い文章ではあるが、簡単に真似できるものではない。
『文章のみがき方』では、いい文章を書く方法が述べられている。では、いい文章とはどのようなものなのか。文章の本質は、ものごとを読者に伝えることにある。いかに感動的なストーリーや目新しい事実が述べられていても、読者にうまく伝わらなければ、文章はその役割を果たせない。内容の素晴らしさを読者にわかってもらえなければ、いい文章であるとは言えない。だからこそ辰濃は、「自分にしかかけないことを、だれにでもわかる文章で書く」ことこそが重要だと述べている。
いざ文章を書いてみると、「自分にしかかけないこと」を書くことや「だれにでもわかる文章で書く」ことは、案外むずかしいことに気付かされるだろう。特に私たちは文章を書く際に「だれにでもわかる文章で書く」ことを忘れがちである。私たちは日々文章を読んでいても、書き手の立場に立つことは少ない。人の文章を読んでいて、「これは読みやすいな」とか「なんだかわかりにくい文章だ」と感じることはあっても、実際にわかりやすい文章を書くことは容易でない。いい文章の書き手になるためには、読者に「わかりやすい」「読みやすい」と思わせる工夫を施した文章を書く必要がある。
だれにでもわかる文章といっても、平易な言葉を使うだけでは不十分だ。平易な言葉だけを使うことで、ものごとの感動や面白みを失ってしまっては本末転倒である。わかりやすい言葉遣いだけでなく、構成、比喩、ユーモアなどの工夫を交えながら、内容を損なわずに、だれにでもわかる文章を書きあげることが大切だ。もう一度『阿弥陀堂だより』からの引用を読んでみよう。たった二文であるが、簡潔に、そしてありありと南木の感じた「春の訪れ」をイメージすることができるだろう。
『文章のみがき方』の中では、いい文章を書くためのヒントがたくさん書かれている。注目すべきなのは、全体を通じて「文章修行」という言葉がたびたび使われていることだ。文章というのは、借り物の言葉や技巧を使ってすぐによくなるものではない。日々コツコツと努力していくことによって、初めていい文章が書けるようになる。だからこの本は、いい文章の書き方の本ではなく、文章のみがき方の本なのだ。
幸いにも現代に生きる私たちは、インターネットを通じて世界に文章を発信することができる。自分が精魂こめて書いた文章に、多くの読者を持つ機会が目の前にある。手軽にコミュニケーションできるだけに、軽率に書いてしまうことも多いだろう。しかしながら、この機会を利用して、自分の感動を見つめなおし、誰にでもわかりやすい文章を書いてみてはいかがだろうか。たとえ相手の顔は見えなくても、深いコミュニケーションの中から、あなたの良き理解者を得ることができるかもしれない。
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